私たちは、フランスに本部を持つ“ヌヴェール愛徳修道会”の日本地区です。

私たちは、貧しくされた人々と共に生きる修道会です。

社会の中で疎外された人々への奉仕を通し、神の深い哀れみと愛を示すことを使命としています。 

 


【修道会からのお知らせ】

【ベルナデッタの集い】

 

 東京の目黒修道院にて

 

 ・アソシエ

 ・ベルナッデタ会:未定

  

  いつでもご自由に

 お問い合わせください。

 電話:03-3713-4134

 

修道院の門は開いています。

事前に連絡下されば

来院を歓迎いたします。 

   

   

 

 

 

 【コラム】

 「神の声を聴く」

ということについて、

皆さんはどう思われますか?

 

自分にはそんな声聞こえない、と思う人も少なくないかもしれません。

 

 少し静かな時間をとってみませんか。

具体的な声ではなくとも、その存在を感じれば、あたたかさが胸に広がりませんか?

それを大切にしたいですね。

 

 

自分の内側に、神様はあなたと共にいらっしゃいます。 

 

今日も神様からの恵みは届いています。

あなたに・・・・・。



【今年はベルナデッタが修道会へ入って160年記念】


ルルドで聖母マリアのご出現を受けてから8年後、22歳のベルナデッタは、1866年、ヌヴェールにある修道会に入りました。

修道院の建物の上部に刻まれていた文字はラテン語で「神は愛なり」。

ベルナデッタは、その通りに、神の愛のもとで、35歳で帰天するまで、この修道院で過ごしました。

 

ヌヴェール修道会を選んだ理由。

マリア様をみた少女として有名になり、注目されていたベルナデッタは、さまざまな修道会から勧誘を受けていました。

そんな中で、勧誘しなかったこの修道会を選んだ、といわれています。

 

 

ベルナデッタは、ルルドの修道女たちへの手紙の中で、到着した時のことを、

一日中泣いていたが、ヌヴェールの修道女たちが、それが良い召命の証しだと励ましてくれた、と書いています。

 

 

到着したときのことを、シスターエミリエンヌがこう回想しています。

ベルナデッタがもってきたトランクを一緒に開けると、

ルルドの修道女たちがたくさんのお菓子、チョコレート、下着やフランネルのシャツ、たくさんの下着を入れてくれていました。

ベルナデッタは、「こんなたくさんの食べ物を修練長のところに持っていったら私が食いしん坊だと思われてしまうわ」

「ここのみんなはフランネルを着ていないのだから私だけが着るのはよくない。

下着もこんなに使わない。私はそんなに長く生きられないでしょうから」と言いました。

さらに、喘息のために、嗅ぎタバコも入っていました。

医師から使うようすすめられていたのですが、ベルナデッタは自分だけが優遇され特別扱いを受けたくはありませんでした。

修道院長は医師に従うようにベルナデッタに言いました。

 

また、ベルナデッタは、修道会に到着した後、講堂で皆の前でご出現について話すよう言われ、その後は語ることはありませんでした。

どこまでも、隠れた生活を望んだのです。

 

高等教育を受けてもおらず、病気がちでもあったベルナデッタ。

「にんじんの皮むきならできるでしょう」と言われ、自分にできることを捧げものとして、修道生活を送りました。

 

大きなことでなく、小さなことを

 

そんなベルナデッタの精神から学び、謙遜のうちに、自身も神の愛を感じて生きていけるよう、ご一緒にお祈りしませんか?

 


ベルナデッタはこの門をくぐって修道院に入りました

ベルナデッタが皆の前で話をした部屋

修練生たち

ベルナデッタはこの壇上から話をしました



【特別企画】写真でたどる ヌヴェール愛徳修道会来日100周年


私達の修道会は2021年に、日本地区創設100周年を迎えました。

 

「姉妹たちよ、あなたたちは、素朴な、普通の、常に変わらない生活、他の人といかなる相違も区別もなく、すべての人とともに生きる生活をしなければなりません」という創設者ドゥラヴェンヌの言葉を日本で生きるミッションを得て、100年前に、7人の姉妹が来日しました。

 

姉妹たちがどのような思いで使命を果たしてきたのか・・・その思いと共に、写真で歴史を振り返ります。


1921年3月25日、フランスのマルセイユから出港した7人のシスター。“種をまく人”として、未知の国、日本へ。

5月8日に神戸港に到着しました。

 

 

最初は、大阪の玉造教会で間借りの生活。そこで、日本語の勉強を始めるとともに、日本人に、フランス語、刺繍、ピアノ、絵画などのレッスンを始めました。

 

 

日本人女性の修道者も誕生。4名の初誓願式が、フランスで行われました。これはモンペリエに到着した4名です。

 

 

来日した姉妹は喜びにあふれたものでしたが、実際の暮らしは貧しく、「食べるものがありません」という言葉がたびたび修道院の日記に記録されています。

1939年に3人の姉妹が相次いで天に召され、修道会は受難と悲しみの日々でもありました。

 

 

 

戦後、修道姉妹の数も徐々に増えていきます。

これは、1959年、京都の伏見教会で最初の着衣式の様子。

 

 

1968年、京都九条の希望の家で、奉仕活動が始まりました。

学童保育や、独居の高齢者のお世話などを行いました。

 

 

修道院を小さな共同体にわけ、地域の人とより近くに生きる試みも始まりました。

これは荒川修道院での活動。地域の人の相談にのっています。

 

 

1995年1月の阪神淡路大震災の発生時には、奉仕活動も。

特に情報の少ない外国人被災者のための情報提供活動に協力。

炊き出しなども行いました。

 

   上段上:メール・マリー・クロチルド・リュチニエ

   上段右:メール・グザビエ・デルマス

   中段左:メール・アンリー・ラマドン

   中段中:メール・シャール・ベルトラン

   中段右:メール・スタ二スラス・マリー・グルマン

   下段左:メール・アニエス・クスチエ

   下段右:メール・サンチーブ・ドゥ・コルビオン

 

 

 

 

1921年5月24日に、ヌヴェール愛徳及びキリスト教的教育修道会 大阪玉造修道院創設。

ここからミッションの第一歩が始まりました。

 

 

小野よし(Sr.ベルナデッタ)    佐藤よしみ(Sr.グザビエ)

 稲田ミオ(Sr.アニュス)      百岡キミ(Sr.テレーズ)

 

 

 

日本における英語教育の重要性から、フランス語ではなく英語を話せる姉妹の派遣が必要とされ、1939年にイギリス人メール・マリー・ノエル・グレゴリーが来日。しかしその2年後に太平洋戦争が勃発。日本の敵国であったイギリス出身という理由で、姉妹は長崎の収容所に送られます。そこで原爆にあい、戦後、イギリスへ帰国しました。『ヌヴェールの修道女 日本で囚われた聖ベルナデッタの姉妹 原爆で解放』という自叙伝も出版しました。

 

1958年 ルルドに聖母ご出現100年祭り(香里)

 

 

より貧しい国へ!日本からアジアへ、とミッションが広がりました。カンボジアを視察、タイ難民キャンプでの奉仕も行いました。

のちには、アフリカにも日本の姉妹の活動の場を広げていきます。

 

 

西浦町修道院。

腹話術で慰問活動なども行いました。

 

 

 

2011年3月の東日本大震災では、東京教区のCTVCグループの要請を受け、仮設住宅に住む被災者を訪問するなど、支援活動を行いました。

 




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